疲れたからちょっと無職になってみた

明日死ぬとしたら、生き方が変わるのか?

卒業写真の中に在る凶悪~遺された人は誰かの死から勝手に学ぶ

 

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#今週のお題「卒業」

 
はてなブログの今週のお題「卒業」にポストする記事になにを書こうかな……とぼんやり考えていたところ、俳優の萩原健一さんが死去、68歳というニュースが飛び込んできた23時。

 



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"ショーケン"と呼ばれ愛され、50歳代の男性が若者だった頃のカリスマ的存在だったという萩原健一さんの全盛期を私は知らないのだけれど、『さいごのやんちゃなオジサンさん』といえばこの方だな……なんて感じで、全盛期を知らない者にも適度に存在を知らしめるなんて、にくらしいほどかっこいいんだ。
 
 
あっそっか。人の死も、そういえば「卒業」だ。
 
生きている人の卒業は、卒業をひとつの通過点として当の本人が望む望まずとあらゆる実体験を経て成長が得られる。
 
誰かの死という"生"からの卒業からは、遺された者たちが勝手に意味を見つけ出す。故人に自己を投影して奮起したり、死を以てして歴然とした差を見せつけられたり。成長ではなく、成長、できるかもしれない機会を与えてくれる。
 
 
どちらの卒業も何度か味わってきたけれど、学生時代の自身の卒業では一度も泣けなかった。卒業を繰り返した先に「自由」が両手広げて待っていると信じていたから、卒業は待ちわびていた嬉しいもの。
 
身内や知人の「生からの卒業」にはいつもどこか、後悔と、得体のしれない決意がつきまとう。私がんばるからね、見ててね。みたいな。
 
「だったら生きてるうちに頑張ってる姿、見せにこいや」ってきっと思われてるだろうに、勝手にやる気・勝手に奮起。だけど不思議なことに叔母と祖母の死の際に誓った決意と約束は今もずっと守りつづけられている。
 
 
今年の1月頃なぜだか無性に、実家に置いてあるだろう高校時代の卒業アルバムを見てみたくなった。あの日からとんでもない年数が過ぎて、1度もひらいたことのなかった卒業アルバム。
 
父に頼んだところ翌日すぐに持ってきてくれた。
 
ずっと3年7組に在籍していたと思っていたけど、私は3年4組の生徒だった。自分の記憶のいい加減さに驚愕した。けれどさらに上をいく驚きがそこにあった。
 
思っていた以上に私はぶすだった。びっくらした。
 
 
今思うと、ヘアメイク&スタイリストは天職だったのかもしれない。びっくらぶすから私を卒業させてくれた我が高等技術と、メイクグッズの日進月歩に感謝したい。May Shoken's soul rest in peace.